人生若い時が一番楽しい前提なら、リタイアまで我慢するのは本末転倒

人によって「若い」の定義はそれぞれです。一般的には10、20、30代あたりが「若い」とされますが、40、50代もそれに当てはまると主張する人もいることでしょう。

 

その定義が何であれ、人生は「若いに越したことはない」「若い時が一番楽しい」という考えには多くの人が賛同することでしょう。

 

でなければ、20後半から30前半にかけて、未婚の女性の多くが急に焦りだすこともないはずですし、「アンチエイジング」などという言葉も存在しないはずです。それは「若い」ことが、「老いてる」状態よりも良いことを暗に認めています。(むしろ「早く歳を取りたい」という人がいるなら会ってお話を聞きたいくらいです。)

 

ビジネスでも芸能界でも何でも、若い時にキャリアを築いた方が圧倒的に有利です。(老いてからの逆転もたまにはあるけれども)

 

スポーツ選手など、肉体に依存する人は更にわかりやすいです。プレーヤーとしては明らかに20、30代がピークなわけですから、若いに越したことはないですし、ずっと現役でいたい人にとっては「老い」は可能なら避けたいものです。

 

それだけ「時間」には価値があって、それを消耗するのを人々は恐れています。それは当たり前で、歳を取るにつれて、肉体も脳も衰えるのは避けられないことだからです。医療やテクノロジーが進歩して、「歳を取らない技術」が産まれたりしてきますが、これはつまり「誰も歳を取りたくない」の裏返しなのです。

  

もちろん孫正義さんのように、人生が常にプライムみたいな人もいますが、そんな人は稀です。ほとんどの一般人は「若い時の時間の価値が高い」人生を歩んでいるのです。(孫さんですら、髪の毛がフサフサだったあの頃に戻りたい、と心の中では思っているかもしれません。)

 

このように「人生は若い時が一番楽しい・良い」という説を正と仮定します。すると、多くの人が実は本末転倒な行動をとっているのがわかります。

 

例えば老後のリタイアのためにローンでマイホームを買って、やりたくもない仕事を嫌嫌ながら何十年も続けるサラリーマン。上の話に当てはめると、一番楽しく価値がある「若い」時代を嫌な仕事に費やし、なぜか価値が減った「老後」で自由を手にします。その時に家や自由や安心は持っているかもしれないけれど、「人生のプライムタイムを楽しめなかった」という機会損失も残ります。両者を天秤にかけて、それでもいいのだ、という人はいいのかもしれませんが、一度きりの人生、自分のための人生、それでいいのでしょうか?

 

これは家族がいても同じことです。多くの人が、歳を取るにつれて結婚をして子供を持ちます。つまり、「自分の人生」から「自分と家族の人生」にシフトします。その場合でも「若さの価値が高い」というのはやはり正なのです。以下に実例をあげます。

 

幸せのために結婚してマイホーム買った男性がいます。彼はリタイアしたら奥さんと旅行をたくさんしたいと思っていて、がむしゃらに働き、海外オフィスの役員にまでなりました。しかしリタイアした時には、奥さんは病気で旅行できない体になっていたのです。彼はそんな未来は想像していなかったそうです。

 

このように未来は誰にとっても不確実であり、人生は若い時、もっと正確に言うなら「今」の価値が最も高いのです。だから何十年後の不確実な未来のために、今の楽しみや幸せを我慢するのをやめましょう。

 

気づいた時には、取り返しのつかないことになっていますから。

 

昔、ブラジルの小さな村で、ひとりのビジネスマンが浜辺に腰を下ろしていた。ひとりのブラジル人漁師が小さな船に乗り、少しの量の魚を捕って岸に戻ってくるのが見えた。ビジネスマンは、感心して、その漁師に尋ねた。「それだけの魚を捕るのに、どれぐらい時間がかかるんですか?」「そんなに長い時間はかからないよ」と漁師は答えた。

 

ビジネスマンは驚き、さらに漁師に質問をした。「だったら、どうしてあなたはもっと長い時間海に出て、もっとたくさんの魚を捕らないんですか?」「これだけあれば、家族を養うのに十分だからだよ」「残りの時間はいったい何をしてるんですか?」「そうだね、私はいつも朝早くに起きて、それで漁に行って魚を何匹か釣るんだよ。その後は家に帰って子どもたちと遊んで、午後には妻と一緒に昼寝をして、夕方には村の連中と酒を飲んでいるよ。夜通し、ギターを弾き歌い、踊るんだ。」

 

それを聞き、ビジネマンはその漁師にアドバイスを始めた。「私は経営管理の博士号を取得しています。私はあなたを成功へと導く手助けができますよ。あなたは、これからはもっと長い時間海にいて、できるだけたくさんの魚を捕ってくるべきです。それで十分なお金が貯まったら、いまより大きい船を購入できます。そうすれば、もっと多くの魚が捕れます。そして、そのうち、もっと多くの船が買えるようになります。その後は、会社を設立して、缶詰工場を作り、販売ルートを開拓することもできるでしょう。やがて、あなたはこの小さな漁村からサンパウロへと移り住み、大きな本社ビルを置いて、支店を管理できるでしょう。」

 

「それで、その後は?」ビジネスマンは腹を抱えて笑い、「その後、あなたは王様のような暮らしができますよ。頃合いをみて、株式上場すれば、あなたは大金持ちになるでしょう」「それで、その後は?」「そうすればもう忙しく働く必要はありません。引退をして小さな漁村に移り住んで、朝早くに漁に行って、少し魚を捕り、その後は家に帰って子どもたちと遊び、気持ちいい午後には奥さんと一緒に昼寝をして、夕方には村の連中と酒を飲み、夜通しギターを弾き歌い、踊るのです」

 

それを聞いた漁師は怪訝(けげん)な顔してビジネスマンに言った。「それは、私がいまやっていることと何が違うのか」

 ー幸せな選択、不幸な選択: 行動科学で最高の人生をデザインするー

僕はなぜホームレスになったのか?

僕は1ヶ月前にホームレスになりました。

 

文字通り「家がない」という意味のホームレスになったわけではなく、これまでの「居住の常識」を疑い、捨てることにしたという意味です。(余談ですが、ホームレスでもセックスレスでもなんでも「レス」はネガティブな響きがあるので、ホーム「フリー」という概念を提唱したいと思っています。)

 

これまでの「居住の常識」とは何かと言うと、ほとんどの人が「マンションを賃貸」か「家をローンで購入」のいずれかに当てはまりますので、基本的にはそれらを指すと思ってください。(家を一括で買えちゃう人や、ホテルに暮らしてるような人は、既に「あがっちゃっている」人なので、以下の内容はそもそも役に立たないでしょう。)

 

僕は生まれてからこれまで、基本的には「マンションを賃貸」という居住の形をとってきました。今回ホームレス(ホームフリー)になった意味は、この「常識」を疑い、それを辞めたということです。賃貸契約からも解放された、契約フリー状態です。

 

冒頭に話した通り、ホームレスといっても文字通り家がないわけではなく、今は会社のオフィスに寝泊まりをしており、普通に「家」はあります。ただ、従来の意味でのマンション賃貸はもうやめることにしたので、オフィスに住みながら、常識にとらわれない居住の形を模索していければと思っています。

 

そもそも、みんなが常識的に行っているマンション賃貸も、おかしいことだらけです。

 

例えばみんなが当たり前に払っている礼金。簡単に調べたところ、礼金は戦後に作られた慣習のようです。戦後の日本は住宅不足でした。そこで、部屋を貸してくれたお礼として、大家さんに払い始めたお金が礼金として今でも残っていると。

 

これだけ家が増えた現代において、未だに戦後の慣習を引きずってるのは、「おかしい」と個人的には思いますので、僕は絶対に礼金は払わない主義です。 

 

あと、僕は基本的に引っ越しという概念が「めんどくせぇ」と思っています。通常のマンション賃貸においては、2年経ったら更新料を払って更新するか、別のマンションにまた初期費用や引っ越し費用を払って引っ越しをするかの選択に迫られます。

 

基本的に飽き性な僕は、同じ場所に何年、何十年と住む、ことはできません。色んな地や家に住んで色んな世界を見る方が、単純に人生楽しいと思うからです。

 

すると自ずと引っ越しをする派、になるのですが、マンション賃貸におけるそれは極めてめんどくさいです。家具のようなデカイものは捨てるのにも移動するのにもお金と労力がかかります。これを引っ越しの度にしなければならず、そのループを全国民分足し合わせたら相当なムダとめんどうが発生しています。こういうの誰も疑問に持たないのでしょうか?

 

引っ越しの度に家具を考えて揃えるのが楽しい人、が相当数いるのは理解していますが、逆にできるだけ楽に居住を構えたい、というニーズも存在します。より柔軟な居住の形としてシェアハウスやサービスアパートメントが存在しますが、日本には後者のニーズを満たすソリューションがまだまだ少ないです。

 

例えばアメリカのWeWork社がやっているWeLiveという居住形態がありますが、こういうのが日本に増えてくると、居住の「常識」も変わっていくかもしれません。

 

「家をローンで購入」に関しては、後日詳しくしますが、どんだけ金利が有利だろうがファイナンス的に正しかろうが、絶対にしないと僕は決めています。これには「同じ場所に永遠に住むのはつまらん」に加えて、また別の理由があります。

 

時代が変われば人の生き方も価値観も変わります。その変化に合わせて、もっと柔軟で多様な居住の形が存在してもいいんじゃないかと思います。

 

たまたま今回は「家」から始めましたが、他のあらゆる分野においても、僕がこの何十年間の人生で得てきた常識、知識、経験などを一旦すべてUnlearn(忘れる)しようと思っています。

 

生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである

 

というダーウィンの言葉がありますが、これはいつの世においても真理だと思います。これから人工知能時代など、人間が直面したことのないパラダイムシフトを迎える上で、これまでの常識や知識が変化への適応の妨げになる可能性があります。だからUnlearnできる力というのは、これから重要になっていくんではないかと思います。

 

僕のホームレス化は、「居住の常識」をUnlearnするための実験なのです。